AV男優・監督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 07:24 UTC 版)
1990年1月に、樹まり子主演『男優さん、いらっしゃい』(クリスタル映像)の素人男優オーディションに応募した。受験者の内、殆どの者が極度の緊張から勃起しなかったが、向井だけがビンビンだったことから採用になり、初作品監督(斉藤修)に見初められてプロデビューする。当時のAV男優は中肉中背ばかりであった中、やや大柄で筋肉質な肉体はインパクトを与え、その後のAV男優像に影響を与えることとなる。 全身が日焼けし陰嚢がチョコボールに似ていることが芸名の由来となっている。当初はチョコボール向山(むかいやま)だったが、長くて言い辛かったので「やま」が取れて、チョコボール向井(むかい)と呼ばれるようになった。以後、加藤鷹と並ぶAV男優のトップとして活躍。弟子にミートボール吉野がいる。 また、2001年からAV監督としても活動しており、ホットエンターテイメントに自らのレーベル「向井」を持ち、主にナンパ、カップル、風俗モノのAVを監督していた。 AV男優として活動した約17年間の出演本数は6000本を超え、性交経験人数も6000人を超えるとされる。男性と絡むゲイビデオにも何本か出演している。またニューハーフと絡むAVにも数本出演している。加藤鷹に次ぐ知名度を誇る、元祖マッチョ系(筋肉質)AV男優である。加藤鷹と共に一時代を築き、本来「どうでもいい存在」のAV男優をメジャーな存在に押し上げた功労者であり、AV男優としての過去最高年収は2000万円以上である。 大病からの回復後は「もう自分の出る幕じゃない」として、AV業界への復帰は無いとしている。 1日の最高発射記録は16発で、SODの作品『男優は何回射精できるのか』のコーナーで13回射精した(1回の射精につき3万円がもらえるという契約だった)。
※この「AV男優・監督」の解説は、「チョコボール向井」の解説の一部です。
「AV男優・監督」を含む「チョコボール向井」の記事については、「チョコボール向井」の概要を参照ください。
- AV男優・監督のページへのリンク