5000系運用開始
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「名鉄5000系電車 (初代)」の記事における「5000系運用開始」の解説
1955年12月から、5000系2編成が名古屋本線の特急運用に投入された。当時の名古屋本線の特急の認可営業速度は100km/hであったが、これは釣り掛け駆動の3850系や3900系を使用する設定であったため、運転士は早着にならないように気を使ったという。5000系は自重が軽く、支線区への入線も可能であったため、犬山線・常滑線・豊川線への直通列車にも使用された。1956年7月にはさらに3編成が増備され、名古屋本線特急の大半で5000系が使用されるようになった。なお、1956年10月には、モ5057において日本車輌の試作台車ND-101形の試験が行われた。 5000系の投入後、名古屋本線の特急は日中でも立ち客が出る盛況となったことから、5000系特急の6両編成化が計画されることになり、1957年6月には中間車のモ5150形が増備された。モ5150形は全長が少し延長されて19mを超えたほか、台車が軸ばね式軸箱支持方式のFS315形に変更された。これは、リンク部分の傷みが激しいなどの理由で保守部門からのアルストムリンク式台車の評価が高くなかったという事情があったためである。 なお、1957年に長野電鉄が発注した2000系特急電車の車体において、長野電鉄の意向により使用条件が類似している5000系を踏襲することになった事例を筆頭に、この時期に日本車輌製造東京支店が製造した「日車形ロマンスカー」と称される地方私鉄向け高性能電車は、5000系が原型となっている。
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