3宗21カ寺への寄進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 05:30 UTC 版)
貞享2年(1685年)、輪王寺の守全法親王より勧学寮権大僧都法印に任じられた。このとき了翁は、講師として当代の碩学を招きたい旨を法親王に訴えている。 同年、仁和寺の寛隆法親王の縁で高野山金剛峯寺の塔頭光台院に経蔵を設立し、鉄眼一切経(鉄眼道光の大蔵経)を納めたほか、この年より元禄7年(1694年)まで天台・真言・禅の3宗21カ寺に経蔵を寄進している。その内訳は、 禅宗…山城国萬福寺、同仏国寺、武蔵国瑞聖寺、美濃国小松寺、伊勢国円福寺、大和国法徳寺、遠江国宝林寺 天台宗…武蔵国寛永寺、同金讃寺、近江国延暦寺、下野国宗光寺、山城国興聖寺、上野国長楽寺、常陸国月山寺 真言宗…紀伊国高野山光台院、同泰雲院、同新別所、河内国延命寺、同神鳳寺、大和国東浄寺、武蔵国霊雲寺 である。以上21カ寺の経蔵を建立して大蔵経を安置し、その他群書や漢籍など58,005巻を集蔵すべき光石院文庫も建て、これらの維持費も寄進した。 さらに、元禄2年(1689年)、郷里の八幡神社に浄財を寄進して神社を再興した。このとき、「八色八筋の旗」などの宝物を神社に奉納している。また、比叡山に赴き、50両を寄進している。
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