2010年以降現在まで
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「カタルーニャ共和主義左翼」の記事における「2010年以降現在まで」の解説
2010年の州議選において、ERCが獲得した票は前回2006年のほぼ半数の218,046票(6.95%)で、前回より11議席少ない10議席にとどまった。ERC、PSC、ICVの与党3党の敗北により、新たに3党によって多数を形成し、CiUとともに自治政権を担うということが不可能となった。 州議選前の2010年7月には、下院議員ウリエル・ベルトランが、ジュアン・ラポルタとアルフォンス・ロペス・テナとともに独立のためのカタルーニャ連帯(スペイン語版)を設立するためにERCを離党、同党は102,921票(3.29%)の支持を得て、4議席を獲得した。またReagrupamentはわずか39,834票(1.27%)に終わった。 2011年の自治体選挙(スペイン語版)においてもERCの退潮傾向は続き、得票は271,349票(1.20%)であった;バルセロナではReagrupament、カタルーニャ民主主義(スペイン語版)と選挙連合バルセロナのための連合(スペイン語版)を結成して臨み、1議席減でとどまった。選挙後の5月23日、惨敗に終わった選挙結果を受けてジュアン・プチャルコスとその執行部は辞任した。また同年6月3日には元党首ジュゼップ・リュイス・カロッド=ルビーラは党を離れたことを発表した。 2011年9月17日2011年の総選挙に向けての党の候補者を選出するための第一次選考会が開かれ、アルフレード・ボッシュが65.81%の支持票を得て、対立候補ジュアン・リダーオ(30.66%)を下し、選ばれた。また対立候補がいなかったことにより、ウリオル・ジュンケーラスは92.07%、マルタ・ルビーラは89.79%の支持で、それぞれ党代表、書記長として承認された。この大会で、ウリオル・ジュンケーラスはReagrupamentとカタルーニャ連帯に共闘を申し出、Reagrupamentはその申し出を受け入れたが、カタルーニャ連帯には断られた。最終的にERC、Reagrupament、カタルーニャ・シ(独立主義派)(スペイン語版)との間で選挙連合を結成、カタルーニャで7.06%の支持を得、3議席(バルセロナ県で2、ジローナ県で1)を獲得した。
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