2度目の再興から横浜京急バスへ
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「京浜急行バス杉田営業所」の記事における「2度目の再興から横浜京急バスへ」の解説
新設された追浜営業所は拡大を続け、1987年(昭和62年)には能見台車庫も開設された。これにより規模が追い付かなくなることが予想されたため、京急電鉄本社は杉田車庫・能見台車庫を分離することにし、1990年(平成2年)、再び横浜営業所(2代目)が創設された。この当時は、能見台車庫は横浜営業所配下に置かれていた。 「京浜急行バス能見台営業所#沿革」も参照 1994年(平成6年)11月1日、横浜営業所を現在の杉田平和町バス停付近へ移転した。移転前は国道16号を挟んで海側に営業所、山側に車庫が設けられていた。山側の跡地には現在、かつての車庫の敷地内を裏手の住宅地に通じる道路が通り、海側の跡地にはジョナサン横浜杉田店(現:ガスト横浜杉田店)の店舗が建設され、いずれも一部が国道拡幅用地として確保されている。 2001年(平成13年)6月、分離子会社として横浜京急バス株式会社が設立された。これに伴い能見台車庫を営業所に昇格させ、横浜京急バスには杉田営業所(記号:NY)、能見台営業所(記号:NN)、追浜営業所(記号:NA)を設置し、3営業所の路線を順次移管や管理委託の形で切り離していった。この際に「杉田営業所」の名称が復活したが、「横浜京急バス横浜営業所」という名称を避けたものと思われる。 2003年(平成15年)には京浜急行バス株式会社が事業を開始した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}京急電鉄本社はこの際に、京浜急行バスの立ち位置について将来的に、東武鉄道が東武バス分社化の際に採ったような中間持株会社形式に移行することを視野に入れていた。すなわち京浜急行バスには路線を置かず、京浜急行バスの傘下に分離子会社各社を置いて、全路線を移管しようと考えていたのである。[要出典] 「東武バス#路線撤退・移管そしてバス事業本部の分社化」および「京浜急行バス#京急バスグループ時代」も参照
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