2代目の劇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 16:24 UTC 版)
「ロイヤル・オペラ・ハウス」の記事における「2代目の劇場」の解説
歌劇場の再建は同年12月に開始された。ロバート・スマーク(英語版)により設計が行われた建物は1809年9月18日に第1回公演が行われ、『マクベス』の上演に続いて『The Quaker』と題される作品が披露された。再建費用を捻出するために代金が値上げされていたが、作品があまりにお粗末であったために観客は杖を鳴らし、野次り、果てには踊りだす者さえ出る始末であった。旧料金騒動 (Old Price Riots) はその後2ヶ月あまり続き、運営者は根負けして値下げを余儀なくされた。 この頃、ロンドンにおける娯楽は多様化していた。オペラとバレエはその中心であったが、決してそれだけではなかった。1843年には劇場法 (Theatres Act) が成立し、特許状による独占が廃止された。オペラ、バレエともにヘイマーケットのハー・マジェスティーズ・シアターに人気が集まっていたが、1846年に指揮者のマイケル・コスタが経営者との対立によってコヴェント・ガーデンへと移籍すると、多くの団員が彼に従ってハー・マジェスティーズを去った。その後、観客席の改装が行われ、ロイヤル・イタリアン・オペラと改称した歌劇場は1847年4月6日にジョアキーノ・ロッシーニの『セミラーミデ』の上演によって再開された。
※この「2代目の劇場」の解説は、「ロイヤル・オペラ・ハウス」の解説の一部です。
「2代目の劇場」を含む「ロイヤル・オペラ・ハウス」の記事については、「ロイヤル・オペラ・ハウス」の概要を参照ください。
- 2代目の劇場のページへのリンク