1978年–1979年:フォーメーション
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「マテリアル (バンド)」の記事における「1978年–1979年:フォーメーション」の解説
1978年、ヤードバーズでの仕事によって多額のロイヤルティの支払いを受けたジョージアの音楽起業家ジョルジオ・ゴメルスキーは、ゴング、ヘンリー・カウ、マグマといった一緒に働いていたヨーロッパのプログレッシブなジャズ・ロック・バンドをアメリカ市場で開放すべくニューヨークへと移転した。彼はマンハッタンにズ―・クラブ(Zu Club)を設立し、24歳のベーシストであったビル・ラズウェルと出会い、バンドを結成するように勧めた。マイケル・バインホーン(17歳、シンセサイザー)、マーティン・ビシ(17歳、エンジニア)、フレッド・マー(14歳、ドラム)という3人の若い友人たちが、「ヴィレッジ・ヴォイス」紙におけるラズウェルの広告に応え、バンドはクラブの地下室でリハーサルを始めた。彼らにギタリストのクリフ・カルトレリ、そしてキャプテン・ビーフハートのコンサートで同席してゴメルスキーと友達になったオルガン奏者のマーク・クレイマーが加わった。 1978年10月8日にズ―・クラブで開催されたズー・マニフェスティバル (Zu Manifestival)でのパフォーマンスのために、ゴメルスキーが元ゴングのフロントマンであるデヴィッド・アレンと彼らを結び付け「ニューヨーク・ゴング」になるまで、このバンドは「ズー・バンド (Zu Band)」として知られるようになっていた。このパフォーマンスには、サックス奏者のジョージ・ビショップとドラマーのクリス・カトラーが参加し、アレンのアルバム『ニグジストゥ・パ!』に取り組んでおり、ギタリストのマイケル・ローレンスがカルトレリの代理を務め、フレッド・フリスが数曲でゲストに迎えられた。 アレンは1979年3月に帰国し、ラズウェル、バインホーン、マー、カルトレリ、クレイマーのグループには、ドラマーのステュ・マーティンとクレイマーの友人であるアルトサックス奏者のドン・デイヴィスが加わった。彼らは4月から6月にかけて古いスクールバスで北米をツアーし、ゴングの「ラジオ・グノーム・インヴィジブル三部作」のほとんどを演奏した。マーティンは数週間後に脱退し、彼の場所はクレイマーの別の友人であるビル・ベーコンに引き継がれた。秋にはアルバム『アバウト・タイム』を録音し、9月と10月にフランスをツアーした。その後、アレンとバンドは「ヨーロッパの生活様式に耐えられないことを発見した」とき、友好的に別れた。
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