1978年、WGPから引退、『ライダースクラブ』編集長に
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「根本健」の記事における「1978年、WGPから引退、『ライダースクラブ』編集長に」の解説
1978年はヨコハマタイヤがWGPから撤退することになり、根本はスポンサーを失なう。そのため、メカニックの柳沢雄造に報酬を払うことができなくなってしまい、根本はメカニックなしで250ccクラス(ヤマハTZ250)に参戦することにした。しかし、思い描いているようなレース展開にはならず、西ドイツGP(ニュルブルクリンク)を最後のレースとし、日本へ帰国する。帰国後は雑誌『ライダースクラブ』の編集長に就任し、以後17年間バイクメディアで活躍する。当時はWGPで日本人のワークスチームの関係者に会うと日本では聞けないような話が話題になるほど親しくなることができ、この時に築いた人脈が編集長になってから活かされ、日本メーカーは根本に好意的で、『ライダースクラブ』は他誌より優位に取材をすることができた。そのため他誌から抗議されるほどであった。
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