1978年、オールスター競輪決勝戦
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「天野康博」の記事における「1978年、オールスター競輪決勝戦」の解説
この決勝戦では、9番車には前年の1977年に賞金王となり、また前月、ミュンヘンで開催された世界自転車選手権プロ・スクラッチで2連覇を達成しながらも、当時特別競輪ではいまだ優勝経験がなかった中野浩一(福岡)が入り、2番車には、1970年代の序盤から中盤あたりまで、三強時代の中心を担いながらも、1975年の日本選手権競輪(千葉競輪場)決勝で落車して以降、特別競輪の決勝進出もままならなかった福島正幸(群馬)が入り、新旧王者による頂上決戦という意味合いが濃い一戦となった。そして天野は、福島と上越ライン組み、福島にマークすることになった。 ジャンが鳴って中野が先行体勢を取り、中団の位置に高橋健二がつけ、福島-天野は8、9番手。しかし西宮の走路にはガタがあり、そのため先行した選手は最後まで持たないと読んでいた福島は、とりわけ普段めったに先行しない中野が先行してくれれば必ず捲れると踏んでいた。最終バック付近から福島はスパート。しかし、2センターから捲って出た高橋の落車の影響を受けてスピードが鈍り、さらに直線に入り、中野を交わすのがやっとだった。最後は天野が福島を差して優勝したが、新潟を登録地とする選手として、初の特別競輪優勝者となった。
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