1971年全日本ロードレース選手権90ccクラスで負傷、ロードレースから引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 07:21 UTC 版)
「根本健」の記事における「1971年全日本ロードレース選手権90ccクラスで負傷、ロードレースから引退」の解説
根本は筑波サーキットにおいてカワサキ90SSで走行中に最終コーナーでエンジンが焼き付いてしまい転倒し、鎖骨を複雑骨折してしまう。この事故を切っ掛けに大学を中退し、チームからも退会してロードレースから引退する。その後、父親の紹介でラジオ局で働き始める。半年後、鈴鹿サーキットに取材へ行くようにディレクターから指示が出る。取材対象は「白バイ大会」であったが、偶然にもその週末は全日本ロードレース選手権の最終戦でもあった。根本は決勝レースを観戦することにした。この日は糟野雅治と顔を合わせた。糟野もこの日はレースに出場しないで観戦していた。糟野は1970年に最優秀選手賞を獲得したので、この年は世界一周旅行をしていて、帰国したところであった。糟野はヨーロッパに滞在し、フィル・リードの自宅に居候しながらWGPを観戦したりしていた。根本は糟野からヨーロッパの様子を聞き、プライベートライダーがレースだけでも生活していけることを知る。当時の全日本ロードレース選手権は優勝しても賞金が出なかったので、プライベートライダーはレースだけでは生活できなかった。また、日本人のワークスライダーは実質的には開発ライダーなので、マシンテストとしてWGPに参戦することはできてもフル参戦することは難しかった。
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