1953年12月 小禄村 具志とは? わかりやすく解説

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1953年12月 小禄村 具志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 05:31 UTC 版)

銃剣とブルドーザー」の記事における「1953年12月 小禄村 具志」の解説

現在の那覇空港がある場所は、かつては島尻郡小禄村よばれていた。1933年8月日本軍が旧小禄村大嶺土地強制接収小禄飛行場建設した大田実海軍中将率い小禄での戦闘後米軍各種空港施設となっており、小禄村具志多くも既に軍用地として占領されていた。米軍具志宮城高良赤嶺住民帰村許可したのは1947年8月のことであった米軍はこの時点で既に小禄村面積の70.45%を占有していたため、住む場所を奪われ住民は、米軍廃棄したテント張ったり、トタン葺き仮住まいを建て、そこに何世帯かが同居することもまれではなかった。 戦前小禄村総面積3,099,846坪を所有しており、12部落人口9,000人戸1,800戸で、文化経済教育その他のあらゆる側面恵まれ県下でも屈指の裕福農村ありましたが、図らずも去った太平洋戦争結果戦前所有していた土地70,45%(2,182,709坪)を軍用地使用され、現在ではわずか1,924,277坪しか残されておらず、あまつさえ人口14,000増加し余儀なく密集生活をしているのであります。 — 小録村長長嶺秋夫から1953年1月27日琉球政府提出され陳情書 1953年4月米国民政府はさらに住宅地となる軍用地強制接収するため、12月5日具志武装兵出動させ、残り土地の約2.4坪を強制接収し、米軍那覇空軍・海軍補助施設として利用した

※この「1953年12月 小禄村 具志」の解説は、「銃剣とブルドーザー」の解説の一部です。
「1953年12月 小禄村 具志」を含む「銃剣とブルドーザー」の記事については、「銃剣とブルドーザー」の概要を参照ください。

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