1953年4月 真和志村 銘苅・安謝・天久
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「銃剣とブルドーザー」の記事における「1953年4月 真和志村 銘苅・安謝・天久」の解説
島尻郡真和志村(現・那覇市)はシュガーローフの戦いなど壮絶な白兵戦が長期にわたって展開された沖縄戦の激戦地であり、住民の多くが犠牲となり、土地は木の影もない焼け焦げた土地となった。生き残った住民は民間人収容所に送られ、故郷に帰還できたのは1947年の頃だった。 1952年10月16日、米国民政府は、12月10日までに銘苅(めかる)、安謝(あじゃ)、天久(あめく)の集落を明け渡すよう収用通告だしたが、立法院は、このような収用権原はないと主張した。 1953年4月3日、米民政府は「土地収用令」を発行し、4月10日に収用通告、翌11日の早朝には、米軍の武装兵に警護されたブルドーザーが次々と土地を接収した。 接収地は米軍の住宅地「牧港住宅地区」となり、プール、スケート場、ゴルフ場、小学校等の関連施設も建築されフェンスで囲われた。 1987年に返還され、不発弾などの土地整備の後、2009年11月には那覇新都心地区おもろまちの再開発事業として「ツインタワー」「DFSギャラリア・沖縄」、「沖縄県立博物館・美術館」、大型公園「新都心公園」などが造成された。
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