1944年6月 ボブル川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 01:43 UTC 版)
「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「1944年6月 ボブル川の戦い」の解説
1944年6月下旬、反共フランス義勇軍団はフランスへ帰国する予定になっていたが、出発の数時間前になってソビエト赤軍がドイツ中央軍集団への大攻勢(バグラチオン作戦)を発動したため、急遽戦場に戻ることとなった。 1944年6月26日から27日の間、白ロシア・ソビエト社会主義共和国ミンスク州ボリソフから約50キロメートル東部のボブル(Bobr)川において、ジャン・ブリドー少佐(Major Jean Bridoux)が指揮を執る反共フランス義勇軍団第I大隊は、ユンカース Ju87 シュトゥーカ、ティーガーI重戦車5輌、一部のSS警察部隊の支援を受けつつ赤軍の攻撃を防いだ。この戦闘で40輌以上の赤軍戦車を撃破 した反共フランス義勇軍団第I大隊の活躍は、ソビエト赤軍が彼らの兵力を「フランス人師団2個」 と誤認して通信するほどのものであった。 ボブル川の戦いにおいて第I大隊が反共フランス義勇軍団の歴史上最も輝かしい功績を残した後、反共フランス義勇軍団の諸部隊はミンスク南部のモリッツ(Moritz)に集まり、ピュオ大佐の命令によってリトアニアのヴィリニュス、次いでポメラニアのグライフェンベルク(Greifenberg、現グリフィツェGryfice)に引き揚げた。そして、彼らは1944年8月末から9月にかけて、武装親衛隊のフランス人義勇兵部隊である第8フランスSS義勇突撃旅団と合流した。
※この「1944年6月 ボブル川の戦い」の解説は、「第33SS武装擲弾兵師団」の解説の一部です。
「1944年6月 ボブル川の戦い」を含む「第33SS武装擲弾兵師団」の記事については、「第33SS武装擲弾兵師団」の概要を参照ください。
- 1944年6月 ボブル川の戦いのページへのリンク