1939年の回帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:10 UTC 版)
「ハーシェル・リゴレー彗星」の記事における「1939年の回帰」の解説
フランスのRoger Rigolletは1939年7月28日にこの彗星を再発見し、広がっていて8.0等と記述した。翌日、トリノ天文台のAlfonso Fresa(イタリア語版)とヤーキス天文台のジョージ・ファン・ビースブルックによって、この発見は確認された。8月を過ぎると彗星は徐々に暗くなり、最後に観測されたのは1940年1月16日だった。 1939年の再発見後、彗星の軌道はコペンハーゲンのJens P. MöllerやバークレーのKatherine P. Kaster、Thomas Bartlettらによって再計算され、近日点通過は1939年8月9日だったと示された。この軌道を基に、ハーバード大学天文台のLeland E. Cunningham(英語版)は、この彗星はハーシェルが1788年に発見した彗星と同一であると主張した。 最終的な軌道の計算は2度の接近の際に行われた75の観測に他の惑星による摂動を加えて、1974年にブライアン・マースデンによってなされ、軌道周期は155年で近日点通過は1939年8月9日だったことが確定した。 中野主一による軌道計算によれば、ハーシェル・リゴレー彗星の公転周期は180年から200年近くだったが、惑星の摂動を受けて1302年以降は160年から170年前後まで短くなった。中野によれば、次回の近日点通過は2092年3月16日である。
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