1939年の勝利数について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:37 UTC 版)
「ヴィクトル・スタルヒン」の記事における「1939年の勝利数について」の解説
1939年の勝利数は42勝であるが、戦後パ・リーグ記録部長の山内以九士らが戦前のスコアブックの見直しを行った際に、明らかにスタルヒンに勝利が付かないケースとなる2試合(5月9日:対名古屋戦、7月15日:対セネタース戦)があった。いずれも中尾輝三が先発し、5イニング以上投げて巨人がリードした状態で退いた後をスタルヒンがリリーフして最後まで投げ、そのままリードを守りきって巨人が勝った試合である。これらについて記録の変更を行い、40勝とされた。戦前は勝利投手の認定に曖昧な部分があり、記録員の主観で判断されていた側面があったためである。実際に当時の公式記録員であった広瀬謙三は「救援投手に重きを置いて(勝利投手、敗戦投手の記録を)つけた記憶がある」と証言している。 しかし、スタルヒン没後の1961年に稲尾和久がシーズン最多勝利でこのスタルヒンの記録を破る42勝を記録したことから、戦前のスコアの修正について再び議論が起き、最終的には1962年3月30日にコミッショナー裁定が出され「あとから見ておかしなものであっても、当時の公式記録員の判断は尊重されるべき」という理由でもとの42勝に戻された。その結果、稲尾の記録はスタルヒンと並ぶタイ記録となった。 なお、42勝のうち4勝は自らのサヨナラ安打によるものである。このシーズン4サヨナラ安打は1969年に東映フライヤーズの大杉勝男が更新するまで30年にわたってプロ野球記録だった。11月9日、巨人が優勝を決めた試合もスタルヒンのサヨナラヒットでの勝利だった。
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