1903-1919: デキシー製造社 (Dixi-Werke)
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デキシー製造時期 1903-1919 (16年間) 会社名 デキシー製造(Dixi-Werke) 工場名 同上 リーダー ヴィリー・ゼック(Willy Seck) ブランド デキシー(Dixi) 会社は新たに社名をデキシー製造(Dixi-Werke)とし、1891年に新技術長としてヴィリー・ゼック(Willy Seck)を招いた。ヴィリー・ゼックはGNOMロータリーエンジンを開発し、現在のロールスロイス・ドイツ社に続く会社で活躍していた自動車の先駆者である(また、ヴェスターブルク(Westerburg)出身のゼック兄弟の一人であり、ゼック兄弟は、1883年の溶鉱炉事業を手はじめに、機械製作を経てエンジン製作を行い各所に工場を所有していた, )。この体制からDixiという車が生まれる。Dixiとはラテン語の「私は話した」という意味である。文語調で言えば「我語りけり」(「言う」の現在完了形 )。 Dixi車として代表的なものに1907年の"U-35"がある。これは4気筒7320ccで65PS以上を出力し最高時速85キロを出した。その走行性能と信頼性の高さですぐにすばらしい車と認められた。 第一次世界大戦中は自動車生産は中止され、軍用トラック、兵員輸送車、医療車両、銃器、運搬車両などを生産した。
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