1704年以前の写本
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「千夜一夜物語」の記事における「1704年以前の写本」の解説
1704年に、フランスの東洋学者アントワーヌ・ガラン(Antoine Galland、1646年-1715年)が「千一夜」を初めてヨーロッパに紹介した以前の主な写本には以下のものがある。 ガラン写本 アントワーヌ・ガランがフランス語に翻訳する際に使用したアラビア語の写本(MSS Arabe 3609,3610,3611,以下)。15世紀半ばに書かれたもので、現存する写本のなかで最古である。全3冊で282夜(物語の数は40話)である。ガランが1701年ごろにシリア人の友人から入手したものであり、現在、フランス国立図書館の所蔵となっている。 「千一夜」研究の重鎮であるムフシン・マフディー(1926年–2007年)はガラン写本を詳細に研究して、1984年にその校訂版を出版しており、現在ではこれが「千一夜」の原型を保った最良のものと評価されている。マフディーの研究によると、最初期の「千一夜」は、夜の数にしてせいぜい二百数十夜の物語集であり、ガランが翻訳に使ったシリア系写本とほぼ同じ内容であったらしい。また、これらの物語は一定の意図のもとに編集がおこなわれ、文学的にも完結しているというのがマフディーの見方である。 チュービンゲン写本 15世紀初期に書かれた可能性があるとされる写本。283夜から542夜の部分が残っている。 トルコ写本(カイセリ写本) トルコのカイセリに伝わる写本で、16世紀に作られたとされる。カイセリ写本とも言われる。枠物語の結末が書かれた最古のものとされ、それによれば、シェヘラザードに子は生まれておらず、ブーラーク版、カルカッタ第二版とこの点において異なっている。 マンチェスター写本 イギリスのマンチェスター大学ジョン・ライランズ図書館が所蔵する写本で16世紀前半に作られたとされる。255夜から始まっている。 マイエ写本 17世紀後半に成立したと考えられている写本。冒頭部分から905夜までが収録されている。1702年にフランスのエジプト総領事ベノワ・ド・マイエ(Benoît de Maillet)が購入したものである。
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