12長老制時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 09:01 UTC 版)
「ミュンスターの反乱」の記事における「12長老制時代」の解説
指導的預言者だったマティスが殺害されたため、もう一人の預言者であるヤン・ファン・ライデンが指導者になり、統治体制の整備が行われた。彼は、マティスの死は神の意志によるものであり、今後は彼を通じて、神の意志が啓示されると説教した。また、彼は、ミュンスターは既に使徒的教会であり、ミュンスターを模範として、世界が聖化されると述べた。そして、市参事会という都市の伝統的統治機関が廃止され、ヤン・ファン・ライデンによって指名された12人の長老たちが、市内で指導的立場に立った。 その後、市内で一夫多妻制が導入された。市内の成人は皆結婚を義務づけられた。男性は、複数の妻を持つことを推奨された。当時の市内では、成人男性の数が、成人女性の数より、圧倒的に少なかったため、夫を持たない女性が大量にいたが、一夫多妻制の導入により、彼女たちも男性の庇護下に入った。 この一夫多妻制の導入の後、一夫多妻制を含めた市内の制度改革を復旧するためにミュンスターの名望家ハインリヒ・モルレンヘッケ Heinrich Mollenhecke が首謀者となった蜂起が起こった。彼らは、ヤン・ファン・ライデンら指導者たちを捕縛することに成功したが、彼らを支持する住民は少なかったため、まもなく鎮圧された。 8月31日には、包囲軍による二度目の大規模な襲撃が行われたが、この襲撃も再洗礼派側の勝利に終わり、包囲軍は多大な犠牲者を出した。 この時期の事件史的経緯については、以下の文献を参照のこと。
※この「12長老制時代」の解説は、「ミュンスターの反乱」の解説の一部です。
「12長老制時代」を含む「ミュンスターの反乱」の記事については、「ミュンスターの反乱」の概要を参照ください。
- 12長老制時代のページへのリンク