狩野 舞子
芸名 | 狩野 舞子 |
芸名フリガナ | かのう まいこ |
性別 | 女性 |
生年月日 | 1988/7/15 |
星座 | かに座 |
干支 | 辰年 |
血液型 | A |
出身地 | 東京都 |
URL | https://www.sports-biz.co.jp/athlete/kanomaiko/ |
ブログURL | http://ameblo.jp/kanomaiko-blog/ |
プロフィール | 15歳で全日本代表候補に選ばれたが、成長に伴う腰痛に苦渋し、期待されたアテネ五輪代表入りはならず。名門校のエースとして春高バレーなどで活躍し、再び注目を集める。久光製薬スプリングスに入団し、開幕戦スタメンと順調なスタートを切った。全日本代表で国際大会にも出場したが、2年間に左右のアキレス腱を断裂する不運に見舞われた。持病の腰痛、足の治療に専念するためチームを退団。その後、世界最高峰と言われる2大海外リーグへ挑戦し、9年越しの夢を叶えてロンドン五輪に出場した。翌シーズンからは久光製薬に復帰しセッターに転向するも、2015年には1年間バレーボールから離れ休養。2016年、PFUブルーキャッツでスパイカーとして復帰し、2017-18年シーズンには、Vチャレンジリーグの準優勝に大きく貢献する。2018年5月、黒鷲旗を最後に惜しまれながらも現役を引退。引退後はこれまでの経験を活かし、さまざまな活動を展開している。 |
代表作品1 | フジテレビ『ジャンクSPORTS』 |
職種 | スポーツ |
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狩野舞子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 09:32 UTC 版)
狩野 舞子(かのう まいこ、女性、1988年7月15日 - )は、日本の元バレーボール選手。東京都三鷹市出身。ニックネームはマイコ。マネジメント契約先はスポーツビズ。
- ^ 「母が語るマイコ」『月刊バレーボール』、日本文化出版、2009年10月、14頁。
- ^ 三鷹市ホームページ(広報みたか・2012年7月15日)
- ^ 2009年8月2日のジャンクSPORTSで発言。
- ^ “狩野舞子選手(女子バレーボール)とマネジメント契約締結のご報告”. スポーツビズ (2010年8月30日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “Maiko Kano Beşiktaşımız’da” (トルコ語). ベシクタシュ (2011年10月19日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “女子日本代表選手12名決定! 第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)”. 日本バレーボール協会. 2012年6月25日閲覧。
- ^ “狩野、来季の所属まだ決まらず…/バレー”. SANSPO.COM (2012年8月30日). 2012年9月1日閲覧。
- ^ “狩野舞子選手復帰のお知らせ” (PDF). 久光製薬スプリングス (2012年9月15日). 2012年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ 久光製薬スプリングス. “退部選手のお知らせ”. 2015年6月30日閲覧。
- ^ 全日本バレーボール女子の今日、そして明日(2016年1月6日)
- ^ PFUブルーキャッツ. “新加入選手のお知らせ”. 2016年7月22日閲覧。
- ^ PFUブルーキャッツ. “退団選手のお知らせ”. 2018年5月6日閲覧。
- ^ “狩野舞子が涙のラスト試合、コートで仲間から胴上げ”. 日刊スポーツ. (2018年5月2日) 2018年5月6日閲覧。
- ^ “元バレー代表の狩野舞子さん「愛しい存在」「いつだって表情を崩さない男」との2ショット披露”. 日刊スポーツ (2023年6月27日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ “2012年度「上月スポーツ賞」表彰式”. 上月財団. 2023年10月26日閲覧。
- ^ Vリーグ機構. “選手別成績”. 2017年2月1日閲覧。
固有名詞の分類
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