黒旗事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/27 02:54 UTC 版)
銀座事件とも呼ばれる。 1926年1月31日午後6時半、黒色青年連盟は東京芝公園内の協調会館で第一回演説会を開催する。黒色青年連盟の機関誌『黒色青年』による自己発表に依れば、東京地方の無政府主義団体の最初の会合であり、参加者は700人余りであった。弁士の中には紙製の爆弾を壇上に叩きつけたり、警備の私服警官との論争の末に検束された者もいる。 午後9時には演説会は散会となったが、参加者の中の30名ほどは黒旗を掲げ革命歌を高唱しながら銀座へと向かった。一行は礫を投げる、20軒あまりの商店の窓ガラスを割るといった暴行を行い、これを制止しようとした尾張町交番の巡査に全治二週間の殴打傷を加えている。 内閣総理大臣を務めていた若槻禮次郎は、協調会館の演説会は事故もなく解散したこともあって、警視庁側に手落は無いとし警視庁側の処分は一切行わなかった。また、普通犯罪と同一でないことと、無政府主義取締を声明した。
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