黒と銀の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 02:30 UTC 版)
「ロサンゼルス・キングス」の記事における「黒と銀の時代」の解説
1987年にブルース・マクネイル (Bruce McNall) がチームを買収すると、彼はキングスを万年下位チームから一躍カップを争うチームに仕立て上げようとして1988年8月9日、1500万ドル、ジミー・カーソン (Jimmy Carson) 、マーティン・ジェリナス (Martin Gélinas) 及び ドラフト第1巡目の指名権の見返りにウェイン・グレツキーを獲得した。 ロサンゼルス・キングスはロサンゼルス・レイダース (NFLラスベガス・レイダースの前身) をモデルにユニフォームを黒と銀に一新し、若者の流行ファッションの一端を担う人気ユニフォームになった。1988-1989 シーズンはリーグ屈指のディフェンス力を有し、リーグ4位に終わる。他方、グレツキーは168ポイントのチーム記録をもたらした功績によりハート記念賞(最優秀選手賞)を受賞する。シリーズの対オイラーズ1勝3敗の劣勢を挽回して第1ラウンドを制した。が、第2ラウンドでフレームスの前に敗退した。 翌年のプレーオフではフレームスを退けたものの、今度はエドモントン・オイラーズに敗れる。その後の1991年、1992年もオイラーズには歯が立たなかった。 1993年にはチーム初のプレイオフ第2ラウンドに進む。トロント・メープルリーフスの3勝2敗と王手をかけられた状況で、第6戦グレツキーが延長戦に得点、続く第7戦でもハットトリックの離れ業を演じ、キングスは初のスタンレー・カップ決勝に駒を進めた。 決勝ではモントリオール・カナディアンズが3度の延長戦をすべて制し、キングスの勢いを止めた。グレツキーはプレイオフで驚異的な40ポイントを獲得した(チーム記録)。この両チームとも翌期はプレーオフ進出ならず、キングスはその後も3期連続で進出がならなかった。キングスはキーナン率いるセントルイス・ブルースにトレードでグレツキーを放出するに至った。ブルースとのトレードの見返りは、ロマン・ヴォパット (Roman Vopat) 、クレイグ・ジョンソン (Craig Johnson) 、パトリス・ターディフ (Patrice Tardif) の3選手と2年間のドラフト第1巡目の指名権であった。
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