黄南鵬とは? わかりやすく解説

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黄南鵬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/26 09:47 UTC 版)

黄南鵬
プロフィール
出生: 1901年または1902年[1][注 1]
死去: 没年不明(1985年時点では存命)
出身地: 台湾
職業: 軍人・軍務官僚・政治活動家・美術家
各種表記
繁体字 黃南鵬
簡体字 黄南鹏
拼音 Huáng Nánpéng
ラテン字 Huang Nan-p’eng
和名表記: こう なんほう/こう なんぽう
発音転記:  フアン・ナンポン
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黄 南鵬(こう なんほう/こう なんぽう、1901年または1902年 - 没年不明)は、台湾中華民国の軍人・軍務官僚・政治活動家・美術家。在日華僑中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権華北政務委員会では、台湾出身ながら軍事の要職を歴任し、陸軍少将となっている。戦後は日本へ亡命し、台湾独立運動に従事した。

事績

親日政権での活動

日本陸軍士官学校を卒業。中国に渡り、国民政府中央軍で団長となる。1936年民国25年)に殷汝耕が冀東防共自治委員会(冀東防共自治政府)を樹立すると、黄南鵬もこれに参加したという[1]

王克敏北京中華民国臨時政府を樹立すると、黄南鵬もこれに参加する。1938年(民国27年)5月20日に治安部(総長:斉燮元)建制局局長に抜擢された[2][3][注 2]。翌1939年(民国28年)10月6日、治安軍陸軍第2集団司令に起用された[4]

1940年(民国29年)3月、臨時政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流し、華北政務委員会が成立しても、黄南鵬は治安軍第2集団司令に重任した[注 3]1943年(民国32年)1月23日、治安軍第2集団司令を離れ、陸軍軍官学校教務長代理に移った[5]。10月10日、陸軍少将位を授与されている[6]。このほか、冀東行営主任や憲兵司令などを歴任したとされる[1]

日本亡命、台湾独立運動

汪兆銘政権崩壊後、黄南鵬は漢奸として逮捕された。1946年(民国35年)、軍事委員会委員長北平行営主任・李宗仁が主宰する軍事法廷において、他の22人の被告[注 4]と共に審理されたが[7]、黄の最終的な判決については不詳である。いずれにしても収監されていたが、中国人民解放軍北京市に迫る直前に釈放され、香港へ脱出した[1]

1950年(昭和25年)、日本へ亡命する。廖文毅らと台湾独立党を結成し、黄南鵬は同党副主席となった。しかし、主席の廖とは意見が合わず、1954年(昭和29年)に台湾独立党を脱退した。また、新たに台湾民主独立聯盟を結成し、林献堂を総裁として推薦、自らは総裁代理となっている[1]。このほか、曹若山・陳中孚らの亜細亜友之会にも、黄は常務幹事として参加している[8]

晩年は日本画壇で活動し、洋画団体・大洋会の会員となった。『美術手帖年鑑 ‘86』189頁には黄南鵬の名が掲載されているが、翌年の年鑑から名前が消えている。その他の情報も見当たらない。

注釈

  1. ^ 霞関会編(1957)、196頁が「現在五十五歳」としていることによる。
  2. ^ 霞関会編(1957)、196頁は「軍務局長」としているが、誤り。そもそも「軍務局」という局自体が存在しない。
  3. ^ 公報上で直接の確認は取れないが、後年の人事異動の記載から判断する限り、重任している。
  4. ^ 邵文凱栄臻らが含まれ、この2名は死刑判決を受けた(ただし両者の執行状況は不明で、栄については未執行のまま1960年に病没)。他の著名人としては、田文炳がいる。

出典

  1. ^ a b c d e 霞関会編(1957)、196頁。
  2. ^ 臨時政府令、令字第201号、民国27年5月20日(『政府公報』第18号、民国27年5月23日、臨時政府行政委員会公報処、3頁)。
  3. ^ 東亜同文会業務部編『新支那現勢要覧 第二回(昭和十五年)』、945頁。
  4. ^ 臨時政府令、令字第475号、民国28年10月6日(『政府公報』第106・107号、民国28年10月16日、臨時政府行政委員会情報処第四科、5頁)。
  5. ^ 華北政務委員会令、会字第735号、民国32年1月23日(『華北政務委員会公報』第189・190期、民国32年2月19日、本会2頁)。
  6. ^ 『日文国民政府彙報』第202号、民国32年11月6日、中国和文出版社、2頁。
  7. ^ 「北平軍事法庭審判日本戦犯往事(下)」抗日戦争紀念網、2017.8.24.
  8. ^ 国勢協会編『国勢総覧 第18版』国際連合通信社、1958年、837頁。

参考文献

  • 霞関会編『現代中国人名辞典』江南書院、1957年。 



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