鶴賀新内とは? わかりやすく解説

つるが‐しんない【鶴賀新内】

読み方:つるがしんない

[?〜1810]新内節太夫芸名2世鶴賀若狭掾門弟で、鼻にかかった独特の節回し人気得た


鶴賀新内

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/10 23:33 UTC 版)

鶴賀 新内(つるが しんない)は、新内節の太夫の名跡

初代

延享4年(1747年) - 文化7年7月4日1810年8月3日))

初代鶴賀若狭掾の高弟で弟子だった鶴賀斎の弟で生まれつき目が不自由であったとされる。初代加賀歳、若歳名乗った後に新内の名を相続。

「藤蔓恋の柵」「二世の環襷」等を作曲。

2代目

生没年不詳)初代(先代)同様に目が不自由であった。通称を彦次郎(のちに吉右衛門)。

初代の門弟で2代目加賀歳、1814年に2代目新内を襲名。後に豊名賀薗太夫や鶴賀出雲掾、津留賀文彌等を名乗る。

1827年以降消息不明。

4代目

文政9年(1826年) - 明治16年(1883年1月26日

江戸の生まれ、3代目新内、2代目鶴吉の実子。初名を貞之助。1855年に母没後3代目鶴吉を襲名。鶴賀若狭太夫を襲名。1868年に4代目新内を襲名。通称を庄兵衛。

妹が4代目鶴吉

実子は2代目若狭太夫(新内を襲名することなく失踪。)

5代目

(嘉永2年(1849年) - 明治40年(1907年6月24日)本名は鈴木重太郎。

江戸京橋南小田原町の魚屋の親方。5代目新内の2代目鶴賀若狭太夫が失踪した為に再興し1892年に6代目新内を襲名。後に祖元と改名。あだ名を出身地から「築地の三熊」と呼ばれる。

実子が7代目新内。

6代目

(明治14年(1881年) - 明治44年(1911年5月21日

東京の生まれ父は6代目新内。妻は5代目鶴賀鶴吉1906年に7代目新内を襲名。

実子が8代目新内、2代目鶴賀若狭掾。

7代目

(明治35年(1902年4月27日 - 平成5年(1993年9月13日)本名は深野作蔵。

東京の生まれ、弟は五軒町派の家元鶴賀徳之助。3代目鶴賀鶴賀斎の門弟で須磨太夫。独自の流派須磨派。




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