鵠沼伏見稲荷神社とは? わかりやすく解説

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鵠沼伏見稲荷神社

読み方:クゲヌマフシミイナリジンジャ(kugenumafushimiinarijinja)

正称 稲荷神社

教団 神社本庁

所在 神奈川県藤沢市

祭神 宇賀御魂大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

鵠沼伏見稲荷神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 10:03 UTC 版)

鵠沼伏見稲荷神社


社殿(拝殿)

所在地 神奈川県藤沢市鵠沼海岸五丁目11番17号
位置 北緯35度19分14.90秒 東経139度27分48.30秒 / 北緯35.3208056度 東経139.4634167度 / 35.3208056; 139.4634167 (鵠沼伏見稲荷神社)座標: 北緯35度19分14.90秒 東経139度27分48.30秒 / 北緯35.3208056度 東経139.4634167度 / 35.3208056; 139.4634167 (鵠沼伏見稲荷神社)
主祭神 宇迦之御魂大神
佐田彦大神
大宮能売大神
田中大神、
四大神
社格 旧無格社
創建 1943年昭和18年)5月12日
例祭 8月9日
地図
鵠沼伏見稲荷神社
鵠沼伏見稲荷神社
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鵠沼伏見稲荷神社(くげぬまふしみいなりじんじゃ)は、神奈川県藤沢市にある神社

鵠沼伏見稲荷神社の鳥居

祭神

歴史

1937年昭和12年)、鵠沼海岸に官幣大社稲荷神社附属稲荷講社鵠沼支部(鵠沼道場)が創立され、同地に隠棲していた元官幣大社稲荷神社宮司高山昇が道場管理者として就任した。其の後、鵠沼海岸では産土神社を創建しようとする機運が高まり、地元総代と高山昇が中心となり準備が開始され、1941年昭和16年)に神奈川県の認可を受け現在地に境内を設定。1943年昭和18年)5月12日に官幣大社稲荷神社の御分霊を勧請して鎮座になった。尚、当時は神祇院官制下であり且つ戦時中でもあり、藤沢市鵠沼字中井(藤沢市立鵠沼小学校の北側)に、かつては霊泉の湧く稲荷社があったが、関東大震災後この霊泉が涸れ衰退してしまったので、この神社を移転する形式をとって創立した。創立時の宮司(当時は社掌)は藤沢市鵠沼に鎮座する村社皇大神宮社掌関根公彦が兼務した。[1]

祭事・年中行事

境内

和貴水(2015年9月29日撮影)
  • 和貴水 - 50年記念事業で井戸を鑿井した[2]

所在地情報

所在地
神奈川県藤沢市鵠沼海岸五丁目11番17号
交通

脚注

  1. ^ 鵠沼を語る会『会誌〈鵠沼〉』第94号34・35頁「鵠沼伏見稲荷神社の創建について」鵠沼伏見稲荷神社宮司田村進。2007年。
  2. ^ 鵠沼和貴水”. 鵠沼伏見稲荷神社. 2015年8月28日閲覧。

参考文献

  • 児玉幸多 編『藤沢-わがまちのあゆみ-』(増補版)藤沢市文書館、1984年10月1日。 324頁。
  • 『藤沢文化財ハイキングコース』(改訂第2版)藤沢市教育委員会、2000年3月。 51、52頁。

関連項目

外部リンク



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