高島の漢字観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 05:42 UTC 版)
高島は明治時代からの国字改良論の結実である新字体・常用漢字には反対する立場をとる。 (前略)戦後の国語改革―かなづかいの変更、字体の変更、漢字の制限―がもたらした最も重大な効果は、それ以後の日本人と、過去の日本人、―その生活や文化や遺産―とのあいだの通路を切断したところにあった。それは国語改革にかかわったひとたちのすべてが意識的にめざしたものではかならずしもなかった―かなり多くの国語審議委員会たちは、技術的なこと程度にしか考えていなかった。―けれども、実際には、思いがけなかったほどの強い切断効果を生んだのだった。 — 同書207-208p しかし、和語を書く際には、一部のものはのぞいて仮名で書くのがよく、和語を漢字で書くのはよろしくないという。 (前略)あて字をやめるべきであることは言うまでもない。本来、和語に漢字をあてることすなわち「訓よみ」はすべてあて字なのであるが、「山」「水」「人」「家」のごとく、字もやさしく、またその意によってあてているものは、ながく習慣にもなっていることだからやむを得ない。特に「手」「目」「戸」「田」「根」「木」など一音のものはかながきするとまぎれやすいのでしかたがない。それ以外は極力、和語に漢字をあてるのはやめたほうがよい。右の新村の文で言えば、「今も尚残る」は「いまもなほのこる」でよく、「仕方がない」は「しかたがない」でよく「宛て字は成るべく避ける」はあて字はなるべきさける」でよいはずである。(後略) — 同書237p 和語を仮名で書くということは漢字を使っている部分を漢字で書かないということであり、漢字をもちいる量を減らすことにつながる。この点に限っては国字改良論と軌を一にする。
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