騙し絵の真ん中にいてしゃぼん玉
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春 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
面白い話を聞いた。昔の電話詐欺の話である。今で言う「振り込め詐欺」の部類なのだろうが、すぐに「振り込め」と要求するわけではない。まず、人間関係作りから始めるのだそうである。 「もしもし。」 「はい、どなたですが?お声が遠いのですが。」 「もしもし・・・。もしもし・・・。」 「もしもし? あ、もしかして、山田さんですか?」 「(ああ、俺は山田なんだな。)はい、山田ですけど。」 「まあ!ご無沙汰しています。卒業以来ですね。商社に就職されたと聞きましたけど。御元気そうで何よりです。」 「(そうか、俺は商社マンなんだ。)ええ、まあ、なんとかやってます。」 「でも商社って大変でしょ。海外出張も多かったりして。」 「確かに毎日疲れますよ。でも社内の雰囲気が明るくて助かってます。・・・」 前もって騙すシナリオが用意されているわけではない。相手の勘違いに従って、相手が想像を膨らませる通りに、自分の像を形作って行く。結婚詐欺的な要素も多分に含んでいただろう。電話の声に理想の男性を思い描かせておいて、機が熟したところで、「実はお願いなのですが・・・。」ということになる。 昔の話である。携帯電話や番号探知が進んだ現在では成り立たない犯罪だろう。だが、笑えない話でもある。人間は、御互いに相手に何らかの期待を寄せつつ生きている。その期待を実現するため、直情的に訴えたり、様々な仕掛けを考えてみたりする。だが相手は、むしろ、入念に準備されたシナリオよりも、意に沿った形で自分を受け入れてくれる相手の心の空間が欲しい。 この句を読んでそんなことを思い出した。緻密に、意図的に描き込まれた騙し絵の真ん中に、ふわりとはかないシャボン玉が浮いている。騙し絵は、様々な意図を持って、中の空気に触れようとするのだが、シャボン玉は、薄い虹色のバリアをもって、かろうじてそれを防いでいる。しかし、自らの期待が膨らむほど、バリアは薄く、破れやすくなってゆく。球の大きさは、そのまま自分と相手の関係を示しているのかもしれない。御互いが触れ合っている面が、虹の色なのか、玉虫色なのかは別として。 |
評 者 |
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備 考 |
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