駅名・周辺地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 23:12 UTC 版)
開業時の駅名「碑文谷」(ひもんや)は現在の目黒区南部一帯の広域名称。荏原郡碑文谷村が1888年(明治21年)に衾村(ふすまむら。現在の目黒区環七通り以南)と合併して碑衾村(ひぶすまむら。1927年に町制を施行して碑衾町)となった際に大字となっていた。駅は碑衾村大字碑文谷字鷹番に設置されたので、大字を駅名として採用した。なお、字の「鷹番」は現在の駅所在地名となっている。 「碑文谷」の由来には諸説あるが、一説には鎌倉街道端にあった碑文を刻んだ石(碑文谷八幡宮に現存)に因むとされている。「鷹番」は江戸幕府が設置した目黒鷹場の鷹番屋敷が置かれていたことに因んでいる。 周辺の目黒区側には、五本木や三谷(さんや)、唐が崎(からがさき)(三谷と唐が崎は住居表示からは消滅)、そして世田谷区側には下馬、さらに野沢がある。 1936年(昭和11年)、それまで赤坂区青山北町(当時)にあった東京府青山師範学校の世田谷下馬町への移転・誘致に東京横浜電鉄が成功、その最寄り駅として「青山師範駅」に改称された。以後、同校の改称に伴って駅名も「第一師範駅」、さらに「学芸大学駅」へと変更された。東京学芸大学は1964年(昭和39年)に小金井市に移転した。 学芸大学移転後、大学受験生から「紛らわしい」という苦情が出るようになった。その後、1999年(平成11年)6月には、翌年の2000年(平成12年)の東横線複々線化および東急目蒲線の営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線乗り入れに伴う線名変更等に伴い、路線図を大幅に刷新することから、駅名変更についても検討されることとなった。周辺住民を対象にアンケートを取り、3分の2以上の賛成が得られれば改名を実施することになっていたが、過半数が反対との結果となり、見送ることとなった。
※この「駅名・周辺地名」の解説は、「学芸大学駅」の解説の一部です。
「駅名・周辺地名」を含む「学芸大学駅」の記事については、「学芸大学駅」の概要を参照ください。
- 駅名・周辺地名のページへのリンク