首相第4期、5期
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「ギリジャー・プラサード・コイララ」の記事における「首相第4期、5期」の解説
民主化運動「ロクタントラ・アンドラン」により、ネパール下院が回復した後、2006年4月24日、コイララは7党連合の指導者たちによって首相に選ばれた。回復した下院は、国王の権力を奪う諸法案を可決し、国軍にシビリアン・コントロールをもたらした。 暫定憲法の発布以来、コイララは首相として、暫定的な元首となった。 2007年4月1日、コイララは7党連合と毛沢東主義派からなる新政府のトップとして再び首相に選ばれた。 2008年4月10日の制憲議会選挙に引き続き、議会は5月28日ネパールの共和制宣言を可決した。投票の少し前、コイララは制憲議会で「今やわれわれには大きな責任がある」と語った。ネパールは「新しい時代」に入ろうとしており、「国家の夢が実現した」と述べた。なお、コイララは共和制可決後も首相の地位を保持した。 一方、選挙で会議派がマオイストに敗れたため制憲議会は混乱した。会議派はコイララを初代大統領に望んだが、毛派やネパール統一共産党などの反対に合った。健康を害し、酸素吸入をしながら演壇に上がっていたという。普段の生活でさえ酸素吸入が必要なコイララは大統領には不適であると指摘するものも現れた。 紆余曲折の末、結局大統領にはコイララの側近である会議派のラーム・バラン・ヤーダブが統一共産党などの支持を受け毛派の候補を破り当選した。 2008年6月26日、コイララは制憲議会内で演説して正式に首相の辞意を表明した。8月15日に制憲議会で首班指名が行われ、後任に毛沢東主義派のプラチャンダ(プシュパ・カマル・ダハル)が決まると共に辞任した。
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