首相第1期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/08 02:44 UTC 版)
「ギリジャー・プラサード・コイララ」の記事における「首相第1期」の解説
1990年の国民的な民主化運動(ジャナ・アンドラン)により実現した30年ぶりの複数政党制による総選挙が1991年行われ、当選。ネパール会議派は下院の205議席中110議席を制した。党首のバッタライが落選したため、コイララがビレンドラ国王から首相に任命された。 任期中、下院は教育、メディア、保健部門の自由化に関する法案を通過させた。 政府はまたプールバンチャル(東部地区)大学を創設。また、東部地区にB.P.コイララ保健・科学大学(BPKIHS)を設立、多くの地域で医療と工学の私立大学を認可した。政府はまた、中華人民共和国の援助を受けて、バラトプルにBP記念がん病院の建設に着手した。 1994年11月、手続き的な問題で、36人の与党の議員が信任投票に反対したためにコイララは解散総選挙に追い込まれた。選挙後、統一共産党主導の連立内閣が成立した。
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