飯倉貞造
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飯倉 貞造(いいぐら ていぞう[1]、1886年(明治19年)11月23日 - 1970年(昭和45年)4月20日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員で、第一次世界大戦において展開された日本海軍初の航空作戦に参戦した一人である。最終階級は海軍少将。
- ^ 2971名とする資料もある(鎌田芳朗『海軍兵学校物語』原書房、1979年。)
- ^ a b 『62.飯倉大尉欧米出張ノ件』
- ^ 『海軍兵学校沿革』「明治39年11月24日」、「明治42年11月19日」
- ^ 草鹿提督伝記刊行会編『提督 草鹿任一』光和堂、1981年。 21頁
- ^ 『海軍航空の基礎知識』32頁
- ^ a b c 『大正3年9月分 戦時日誌 運送船 若宮丸(1)』
- ^ a b 『大正3年9月分 戦時日誌 運送船 若宮丸(3)』
- ^ 『第1、2、7号飛行機青島偵察攻撃報告』
- ^ 『海軍航空の基礎知識』43頁-45頁
- ^ 『諸報告(3)』
- ^ 『航空軍独立ノ必要 飯倉大尉報告』
- ^ 『海軍航空史話』167頁
- ^ 『大衆人事録 東京篇』「両角三郎」
- ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。
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