食糧高騰から反政府デモへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 18:26 UTC 版)
「2010年-2011年アルジェリア騒乱」の記事における「食糧高騰から反政府デモへ」の解説
1992年以来19年間にわたって非常事態宣言が発令されてきたアルジェリアでは、2001年より首都アルジェでのデモが法律で禁じられているが、2011年1月初旬には食料価格の高騰などに抗議するデモが発生した。このため政府は砂糖や食用油といった物品について関税を下げたり、小麦の合計175トン分緊急輸入、また2月も小麦80万トン分を確保するといった措置を取らざるを得なくなった。 またチュニジアの民主化運動のきっかけとなった焼身自殺を真似て実行する者も現れ、5日間で4人が焼身自殺するという事件も発生した。 食料品高騰に加えて高い失業率、またブーテフリカ政権の強権的な手法に対する批判も加わり、チュニジアでベン=アリー政権が倒れるとデモが活発化した。1月22日に発生した反政府デモでは参加者が治安部隊と衝突し、9人が逮捕された。このデモではブーテフリカに対する名指しの批判も見られた。 こうした政権への批判に対し、ブーテフリカは2月3日、非常事態宣言を近いうちに解除すると発表したほか、高失業率対策として雇用の創出、また住宅の改善といった改革を約束するに至った。なお非常事態宣言は2月24日に19年ぶりに解除された。
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