食文化・医学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
トウガラシなどの作物は17世紀以降に日本から朝鮮へ持ち込まれており、サツマイモは趙曮(朝鮮語版)が対馬で栽培を学び、凶作にも役立つ作物だと『海槎日記』に記した。対馬藩は朝鮮の食文化情報を幕府や各藩に提供して、通信使用の饗応料理を発展させた。やがて日本でも朝鮮料理本として『信使通筋覚書、朝鮮好物附之写』が刊行されて、焼肉、モツ料理、きみすい(キムチ)の作り方が解説された。 朝鮮には許浚の東洋医学書『東医宝鑑』があり、日本の医師は通信使と情報交換をした。幕府は良医を派遣するように要請して、李朝は内医院正から良医を選んで派遣した。日朝の問答は『桑韓筆語』や『倭韓医談』にまとめられている。
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