領海制度の条約化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 16:10 UTC 版)
19世紀後半になると、例えば1856年のパリ宣言のように、国際海洋法の分野でも条文が作成される試みが見られるようになる。 20世紀になり、1930年に国際連盟が主催した国際連盟国際法典編纂会議では、国際海洋法に関する国際慣習法の条約化も、議題のひとつとして取り上げられた。ここでは特に、長年にわたり争われてきた領海の幅など、領海制度の統一が試みられたが、交渉は進捗せず、国際条約の作成は失敗した。 第二次世界大戦後には、国際連合のもとで領海制度の国際条約化が進められたが、例えば1952年に、チリ・エクアドル・ペルーは、200海里の領海を独自に宣言し、1958年に開催された第一次国連海洋法会議では、領海の性質について定める領海条約が採択されたが、領海の幅については、各国の主張は食い違ったため、同条約にもこの点に関する規定が設けられることはなかった。 1960年の第二次国連海洋法会議においても、領海の限界を決定することはできず、殊に領海の幅に関しては、国際条約の対象となる国際慣習法が存在するのかも疑問視された。
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