領事館職員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:09 UTC 版)
「ヴィルヘルム・ゾルフ」の記事における「領事館職員」の解説
1888年に友人のフリードリヒ・ローゼンに倣いロンドンに行き、インド研究を続ける。ゾルフはロンドン滞在時に外交官のルドルフ・リンダウ(ドイツ語版)と知り合い、高い言語スキルを評価され通訳として勧誘される。12月10日に外務省に入省し、1889年1月1日にコルカタのドイツ領事館に赴任する。ゾルフは勤勉さを領事のヘルマン・ゲルリッヒに評価され、5月31日のオットー・フォン・ビスマルク宛ての書簡で、「ゾルフは、通訳よりも高度な職務に対応することができる」と報告している。ゾルフとゲルリッヒは友人関係となり、また開放的な性格だったゾルフは領事館職員の間で人気者となった。 1890年にエドムント・フォン・ハイキング(ドイツ語版)が新しい領事として赴任したが、ゾルフは彼とは相性が悪く、良好な関係は築けなかった。ゾルフは、自身が求めた職務をハイキングに拒否されるなど妨害を受けたため、より高度な職務に就くためのスキルを身に付けようと考え、1891年1月14日に領事館職員を辞職する。辞職したゾルフはイェーナ大学で法学を学び、大学総長ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダーからドイツ植民地帝国の情勢を聞かされる。1896年9月に法学博士号を取得したゾルフは外務省に戻り植民地局に配属される。
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