音響測位の研究
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「ローレンス・ブラッグ」の記事における「音響測位の研究」の解説
第一次世界大戦中は軍事研究を行ったが、まもなく1915年に父とともに25歳でノーベル物理学賞を受賞した。この受賞当時の25歳という年齢は物理学賞のみならず、全5部門(後にノーベル経済学賞が1968年に創設されて以降は全6部門)を通しても史上最年少記録として知られていた。2014年にマララ・ユスフザイが17歳でノーベル平和賞を受賞するまで99年間に亘って史上最年少記録を維持し続けていた大記録である。記録を抜かれた現在においても総合では史上2位の記録であり、自然科学系の受賞者としては現在も史上最年少記録である。 ブラッグの研究は第一次世界大戦と第二次世界大戦のときに中断された。どちらの大戦中もブラッグは敵の兵器の位置を特定する音響測位法の研究に従事した。第一次大戦の際にはミリタリー・クロスと大英帝国勲章のオフィサー (OBE) を授与された。また、1916年6月16日、1917年1月4日、1919年7月7日の3回、柏葉敢闘章 (Mentioned in Despatches) を授与されている。 1915年9月2日、兄弟がガリポリの戦いで戦死した。その直後、ノーベル物理学賞受賞の知らせを聞いている。ブラッグは25歳であった。 大戦と大戦の間は、1919年から1937年までマンチェスター・ビクトリア大学で物理学の教授、1937年から1938年までイギリス国立物理学研究所の所長を務めた。第二次世界大戦後はケンブリッジ大学に戻り、キャヴェンディッシュ研究所を小さい研究グループに分割する改革を行った。彼は「理想的な研究組織は6人から12人の科学者と若干の助手で構成される」と信じていた。
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