音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
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評 言 |
蛇の句の名句を、と云われたら、まず一番に浮かぶ句である。兜子は前衛俳句の騎手と目されて時代の寵児であった。 思えばこの国の失った二十年などもバブルに浮かれうかれ過ぎた人々を巨大な蛇が飲み込んでしまったのかも知れない。 兜子のこの句を読むと奇妙に思い出す映画がある。黒澤明監督の「野良犬」である。長閑な郊外の住宅地に三船敏郎の刑事と木村功の凶悪犯が侵入してくる。ピアノの音が静かに流れているなか、犯人が銃を撃つ、ピアノを弾いていた女が窓から顔を出す、すぐ何も無ったように窓が閉まりピアノの響きが始まる、菜の花の咲いている長閑な場面に刑事と犯人の格闘は終る、二人の荒い息が続く、立ちあがれない二人の上を子供達の歌声が聞えてくる。兜子の句と関係はないかも知れないが、あまりにも平和で長閑な風景に刑事と凶悪犯の格闘が「音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢」を思い出させてくれる。 古代より蛇ほど忌み嫌われたり、逆に崇め奉られたりした生物もない。聖性を帯びるか、魔性を帯びるか、多くの俳人達が取りあげ登場する。 人は目の前の危機から目を逸らしながら、自分の都合のよいように生きてゆく、だから生きてゆくことが出来るのかも知れない。天性の詩人は、ついに鬱病により、昭和五十六年の三月十七日の朝、自宅近くの踏切で逝ってしまった。 俳句思へば泪わき出づ朝の李花 兜子 |
評 者 |
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備 考 |
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