青龍台(殿町組)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:22 UTC 版)
初代の屋台は創設年代は不明であるが、1817年(文化14年)以前に存在した記録が残る。その後、高山の山王氏子の黄鶴台を天保年間(1830年~1843年)に譲りうけ、1859年(安政6年)に玄翁台と改め、1861年(文久元年)に修築して、青龍台と名づけた。1926年(昭和元年)、1940年(昭和15年)に大改築して現在に至る。金森可重が増島城を築き、そのお膝元(殿町の名もこれに由来する)であったことから、台紋は金森氏の家紋であった梅鉢紋を掲げる。この屋台の車輪は外御所車であることが特徴である。(ちなみに高山春祭りにおける青龍台も高山城のお膝元であった青龍台が同様に梅鉢紋を掲げる)。からくり人形は福禄寿と童子の人形を操っている。見送りは、堂本印象の「昇天龍」である。
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