青山忠誠とは? わかりやすく解説

青山忠誠

読み方あおやま ただしげ

陸軍歩兵中尉子爵江戸生。篠山藩忠良の十男。幼名は鋪之丞、号は環峰。芳野金陵の塾に入る。その頃から育英報国の志を立て子弟教育に力を尽くした。また公共のために寄附することが多かった明治20年(1887)歿、29才。明治25年正四位贈られる

青山忠誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 15:05 UTC 版)

 
青山 忠誠
士官学校時代の忠誠
時代 江戸時代後期 - 明治時代初期
生誕 安政6年2月15日1859年3月19日)
死没 明治20年(1887年7月23日
改名 鋪之丞(幼名)、忠誠
墓所 東京都品川区北品川東海寺
官位 正五位正四位
氏族 青山氏
父母 青山忠良
兄弟 忠敏成瀬正肥井上正誠大関増徳忠誠、忠惇、太田資功正室、銑姫、郁子、板倉勝運正室、土井利与正室、佐竹義堯継々室ら
土屋寅直の娘民子
忠允
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青山 忠誠(あおやま ただしげ、安政6年2月15日1859年3月19日) - 明治20年(1887年7月23日)は、明治時代華族子爵)、陸軍軍人。当時としては珍しい旧大名家の当主として、陸軍幼年学校に入学した将校の一人で、最終階級は陸軍中尉。幼名は鋪之丞、号は環峰。室は土屋寅直の娘。養子に青山忠允(ただこと、弟青山忠惇の子)。

生涯

忠誠とその親族の写真。上段左から兄の大関増徳、忠誠、兄の成瀬正肥、弟の忠惇

篠山藩第5代藩主青山忠良の十男として江戸で生まれ、明治6年(1873年)5月に兄の青山忠敏が嗣子のないまま没したために家督を継ぐ。明治7年(1874年)9月陸軍幼年学校に入学する。明治13年(1880年)5月に陸軍士官学校(旧3期)を卒業し、陸軍歩兵少尉に任官する。同年11月、土屋寅直の娘民子と結婚する。明治17年(1884年)子爵となり、明治18年(1885年)5月、陸軍歩兵中尉に昇進するが、明治20年(1887年)に29歳で病死した。

服装に無頓着で、いつも羊羹色の軍服を身に着け、タバコを吸う時にはナタマメの煙管で鉄の火鉢をコンコンとたたくという、ごく庶民的な殿様であったが、警衛に上番するときには新品の軍服を着用するという華族らしさもみせていた[1]

旧領との関係

明治9年(1876年)12月、忠誠は旧藩士の子弟教育のために旧臣の安藤直紀らに命じて私立篠山中学年舎を設立した。この際、福沢諭吉に相談して、紹介により講師も招いている。明治10年(1877年)1月には、篠山城内の堀内令順邸宅を5000円の私財を投じて購入して校地拡張し、「私立篠山中年学舎」と改称した。明治11年(1878年)に公立篠山中学校となり、明治16年(1883年)には校舎が全焼する事態に見舞われたが、旧篠山城内堀内令順第2家宅を購入し再建した。明治17年(1884年)、中学校設備規則発布により廃校の方針となったために、忠誠ほか基金も募り、明治18年(1885年)8月に許可を得て私立鳳鳴義塾とし存続させた。また、東京にも進学のための寄宿舎尚志館をつくり、優秀な者を遊学させた。忠誠の死後、志は養子の青山忠允が継ぐこととなる。

栄典

位階
授章

関連寺社

脚注

  1. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、317頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  2. ^ 『官報』第1222号「叙任及辞令」1887年7月26日。
  3. ^ 『官報』第2810号「叙任及辞令」1892年11月8日。
  4. ^ 『官報』第1219号「彙報」1887年7月22日。
  5. ^ 小御門叢書 『文貞公芳翰集』小御門神社蔵版 1930年7月10日発行。

参考文献

関連項目

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
篠山青山家初代
1884年 - 1887年
次代
青山忠允
当主
先代
青山忠敏
篠山藩青山家(宗家)
1873年 - 1887年
次代
青山忠允



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