旧領との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:11 UTC 版)
明治9年(1876年)12月、忠誠は旧藩士の子弟教育のために旧臣の安藤直紀らに命じて私立篠山中学年舎を設立した。この際、福沢諭吉に相談して、紹介により講師も招いている。明治10年(1877年)1月には、篠山城内の堀内令順邸宅を5000円の私財を投じて購入して校地拡張し、「私立篠山中年学舎」と改称した。明治11年(1878年)に公立篠山中学校となり、明治16年(1883年)には校舎が全焼する事態に見舞われたが、旧篠山城内堀内令順第2家宅を購入し再建した。明治17年(1884年)、中学校設備規則発布により廃校の方針となったために、忠誠ほか基金も募り、明治18年(1885年)8月に許可を得て私立鳳鳴義塾とし存続させた。また、東京にも進学のための寄宿舎尚志館をつくり、優秀な者を遊学させた。忠誠の死後、志は養子の青山忠允が継ぐこととなる。
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