零(ゼロ)の中 爪立ちをして哭いてゐる
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評 言 |
昭和三十六年に上梓された富澤赤黄男の第三句集『黙示』の巻末の一句である。このときすでに赤黄男は死の床にあった。「私は俳句の<純粋孤独>を考へつづけてきた」と句集の「あとがき」には記している。この句などについて「こんなにかなしい、孤独で危機感にみちた俳句を、誰が書いただろう」と高屋窓秋は評している。一方、「この黙示の作品は、いわゆる抽象化への傾斜が大きく、かなり安定性を欠いているようである」(富澤赤黄男ノート)と評するのは高柳重信。 『黙示』の中には 草二本だけ生えてゐる 時間 偶然の 蝙蝠傘が 倒れてゐる などの作品も含まれている。赤黄男自身「鏡にうつったわたしは、必然であらうか。偶然であらうか」(モザイック詩論)と書いていて、抽象化に伴う不安定性を自ら意識していたのではないかと思われる。それが掲句の「爪立ちをして」という措辞にも現れている。「零」が俳句作品に用語として現れるのは温度を示す「零下」などが多く、「零」そのものを詠んだ例はほとんど見ない。 この句がいつ作られ、どこに発表されたのか定かではないが、『黙示』の上梓は「赤黄男が沈黙を始めたときから四年の歳月が流れていた」〈前掲〉と高柳重信が書いているから、未発表句を直接句集に収録したものかもしれない。 赤黄男は明治三十五年に愛媛県に生まれている。昭和三十六年には体調不良を感じ始め、翌三十七年三月に永眠した。 |
評 者 |
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備 考 |
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