雑誌主宰
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「アドリエンヌ・モニエ」の記事における「雑誌主宰」の解説
モニエは雑誌に寄稿するだけでなく、自ら雑誌を主宰した。1925年6月創刊の月刊文芸雑誌『ル・ナヴィール・ダルジャン(銀の船)』と1935年1月創刊の季刊誌『ムジュール(Mesures)』である。後者は主に編集主幹・出版者として参加し、編集委員であったアメリカ人作家のヘンリー・チャーチ(英語版)、ドイツ人作家のベルンハルト・グレトゥイゼン(フランス語版)、イタリア人作家のジュゼッペ・ウンガレッティ、およびフランス人作家のアンリ・ミショーとジャン・ポーランが主導したが、『ル・ナヴィール・ダルジャン』誌は「言語はフランス語、精神は国際的」というモニエ自身の方針に従って編集された。編集長はジャン・プレヴォー(フランス語版)が務めた。作品が取り上げられた作家は、同時代のフランスの作家(マルセル・アルラン、マルセル・オークレール(フランス語版)、クロード・アヴリーヌ、ピエール・ボスト、マルセル・ブリヨン、ブレーズ・サンドラール、アンドレ・シャンソン、ポール・クローデル、バンジャマン・クレミュー(フランス語版)、ジョゼフ・デルテイユ(フランス語版)、ジョルジュ・デュアメル、ジャン・ジロドゥ、ヴァレリー・ラルボー、フランソワ・モーリアック、ジャック・リヴィエール、ジュール・ロマン、ジュール・シュペルヴィエル)や英米の作家(T・S・エリオット、E・E・カミングス、ヘミングウェイ、ジェイムズ・ジョイス、D・H・ローレンス、アーサー・シモンズ、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、W・B・イェイツ)であった。また、ウィリアム・ブレイク、ジョン・ダン、ジョージ・ギッシング、ジョナサン・スウィフト、アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン、ウォルト・ホイットマンなど英米を代表する作家の作品も掲載する一方、当時26歳のサン=テグジュペリの処女作の抜粋が初めて掲載された雑誌でもあった。『ル・ナヴィール・ダルジャン』誌は経営難のため1926年5月の第12号をもって廃刊となったが、フランスに亡命したアメリカの作家、「失われた世代」の作家を紹介した雑誌として重要であった。
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