雁塔聖教序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 10:00 UTC 版)
建碑は永徽4年(653年)。玄奘が貞観19年(645年)に帰朝してインドから持ち帰った仏典の翻訳を進めていた際、太宗は彼の功績に対し「聖教序」(序)の文を作り、また当時(貞観22年)皇太子であった高宗も「述聖記」(記)を作文した。碑文はこの「序」と「記」で、二碑に分かれており、両碑を総じて『雁塔聖教序』と称し、陝西省西安の大慈恩寺内の大雁塔に現存する。保存は極めて完好である。 慈恩寺は太宗が玄奘のために建立したもので、玄奘は永徽3年(652年)この寺院内にインド式建築の大雁塔の建造に着手し2年で完成した。この大雁塔の上層には石室があり、彼がインドから持ち帰った仏典を保管し、その南面にこの「序」と「記」とを褚遂良に書かしめて置いた。しかし、のちにこの塔は崩れ上部を失ったため、長安年間に再建して7層塔にした。その際、最下層の南面の入口の両側に龕室を造り、両碑は東側に「序」を、西側に「記」を嵌めこんだ。今日見られるのはこれである。両碑は同形同大の黒大理石で、碑額は「序」は「大唐三蔵聖教之序」、「記」は「大唐三蔵聖教序記」とそれぞれ2行に書かれ、碑文は「序」は右より、「記」は左より書かれている。それぞれの末行の文によると、遂良は「序」を永徽4年10月に、「記」を同年12月に書いている。
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