阿含経・原始仏教の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 22:59 UTC 版)
「在家仏教 (河口慧海)」の記事における「阿含経・原始仏教の評価」の解説
本書では、『チベット旅行記』の冒頭で上座部仏教を「小乗教」と蔑み、釈興然と喧嘩別れした20代後半頃の河口慧海に見られた、熱烈な大乗仏教への傾倒は影を潜め、むしろ『阿含経』(四阿含)は正統な仏典であり、声聞もまた正統な仏子であり、そうした元々の仏教は元来「大乗」なのであって、それらを「小乗」と貶す「自称大乗教徒」の方が誤っていると批判し(14章、15章、59章など)、また大乗仏教でも特に大集経や密教経典には正統性が無いことを指摘するなど(4章、5章、60章、91章など)、考えをかなり修正してきている。 15章冒頭でも自ら言及しているように、当時既に「大乗非仏説」が盛んに主張されており、また慧海自身『チベット旅行記』の頃から無上瑜伽タントラを始めとする密教経典には嫌悪感を示していたこともあって、このように大乗仏教全体を擁護せずに一部批判して切り捨てる格好になったのは自然な成り行きとも言える。 とはいえ、大乗仏教全体を否定してしまうと、慧海の主張である「在家仏教」をも否定してしまうことになるため、慧海は下述するように、あくまでも初期大乗仏教典を中心とする一部の大乗仏教経典・文献は史実性も正統性もあるものとして擁護している。
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