阪神車輌・摂津車輌時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 13:51 UTC 版)
「武庫川車両工業」の記事における「阪神車輌・摂津車輌時代」の解説
武庫川車両工業の前身である阪神車両工業は、阪神電鉄の車両修繕を目的として1940年9月に創業した。 戦時中も物資・人員不足に悩まされながらも事業を続けていたが、戦後間もない1946年には阪神だけでなく川西航空機の出資を仰いで両社の折半出資とし、同時に社名も摂津車輌工業株式会社に変更した。このような形態になったのは大東亜戦争の敗戦に伴って軍需工業の民需転換が行われるようになり、遊休施設の有効活用と従業員の勤務場所確保を図る必要があったためである。役員は阪神・川西両社の双方から派遣されていたが、従業員の大半は川西航空機の元社員であり、工場も川西航空機の鳴尾工場に移転した。 こうして設立された摂津車輌は、阪神の戦災車両や三宮駅構内で発生した地下線火災の被災車両の復旧工事に携わり、その後は阪神の車両の修繕だけでなくバスボディの製造も行うようになった が、その後は次第に経営不振に陥った。 1954年1月には工場の火災によって阪神から入場中の多くの車両が被災、そのうち6両 が廃車された。このダメージは大きく、摂津車輌としての事業継続を断念して1956年に会社を清算した。
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