間島記念館
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1923年9月1日の関東大震災によって図書館を始めとする青山学院の各校舎が甚大な被害を受け、校舎の再建に伴い、教職員や学徒・校友から図書館設立の声が上がった。病床に伏していた間島弟彦は、見舞いに来た青山学院長・石坂正信からこのことを聞き、建設費の寄付を申し出た。間島弟彦の死後、その遺言に基づき、1928年12月4日で愛子夫人から寄付金10万円が送られた。理事会は、14万円の予算で図書館建築の議を決定し、校友である清水釘吉が社長を務める清水組が設計・工事を請け負うこととなった。1929年2月に起工、10月に竣工し、「青山学院間島記念図書館」と名付けて、10月17日に落成式が行われた。 幾度か拡張、改修工事が行われ、館内外に変化が現れたが、1976年の大増築の際に新築当時の姿をほぼ再現し、「青山学院間島記念館」に名称を改めた。 2008年3月21日、「青山学院ベリーホール」とともに国登録有形文化財(建造物)に登録された。 「青山学院大学#間島記念館」も参照
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