開港〜1991年
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「バグダード国際空港」の記事における「開港〜1991年」の解説
1979年から1982年にかけて、フランス企業の技術支援の元に、約9億アメリカドル以上の費用で建設された。多数のボーディングブリッジを装備し、ボーイング747型機などの大型旅客機の就航が可能で、民軍共用で年間750万人の乗降客を扱える能力を持っていた。着工当時に大統領に就任したフセインの名前を取り、「サッダーム国際空港」と命名された。 当時の3つの乗降ゲート名は、それぞれバビロン、サマラ、ニネヴェというイラクに栄えた古代都市の名が当てられていたが、現在では単純にA、B、Cとなっている。VIPターミナルも併設されており、フセイン大統領が外国からの要人等を出迎える際に使われた。 イラクのフラッグ・キャリアであるイラク航空の本拠地ハブ空港として使われ、かつてはアジア各国やヨーロッパ、アフリカへの定期便が数多く発着していた。また、日本航空や大韓航空も1980年代まで成田、ソウルから欧州へ向かう際、当時はソ連領内であったシベリア上空を通過することが不可能であったことから、南回りの欧州線の経由地としてカラチと共に利用していた。そのためイラク航空、日航、パンナムが成田から乗り入れていた時代には、多くの日本人が訪れていた。 1986年12月25日、バグダード発アンマン行きのイラク航空163便(ボーイング737)がハイジャックされ、その後サウジアラビアで墜落、63人の死者を出した。 1987年11月29日、バグダード発アブダビ・バンコク経由ソウル行きの大韓航空858便(ボーイング707)が、北朝鮮の工作員が仕掛けた時限爆弾により空中で爆破、乗客乗員115人全員が死亡した(大韓航空機爆破事件)。
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