閉鎖までの略歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 00:11 UTC 版)
「トヨタ自動車蒲田工場」の記事における「閉鎖までの略歴」の解説
ドッジ・ラインは戦後のインフレーションを収束させるもデフレーションを招き、1949年は4月に労働組合法改訂に反対するストライキが始まり、10月に日産自動車、いすゞ自動車が人員を整理し、トヨタ自動車も経営が悪化している。12月に企業再建整備計画でトヨタ自動車電装品部門が独立して日本電装が設立され、トヨタは人員整理しないとする覚書で労使双方が合意している。1950年4月に経営再建案が発表され、販売部門が独立してトヨタ自動車販売株式会社が設立され、6月にトヨタ自動車社長を豊田喜一郎が引責辞任して石田退三へ次ぐ。同6月に朝鮮戦争の勃発で朝鮮特需を迎えるも、蒲田工場は廃止され、後に蒲田工場操業4年間の従業員らが神奈川県相模原市にセントラル自動車を設立する。 蒲田工場は1953年にGHQの管理から開放され、戦前から操業していた日本内燃機蒲田工場として再開している。
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