長尾宏也とは? わかりやすく解説

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長尾宏也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/12 05:15 UTC 版)

ながお こうや

長尾 宏也
生誕 1904年1月10日
日本岡山県川上郡吹屋町
(現・高梁市
死没 1994年8月21日(90歳没)
国籍 日本
出身校 青山学院高等科人文科→
(現・青山学院大学
アテネ・フランセ外国語専門課程
職業 登山家随筆家実業家
肩書き 日本児童文芸家協会理事
日本国立公園新社理事
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長尾 宏也(ながお こうや、1904年明治37年)1月10日 - 1994年平成6年)8月21日 )は、日本登山家であり、随筆家でもある[1]。まだ日本では珍しかった山小屋であるヒュッテ・霧ヶ峰を経営した人物として有名。日本山岳会員[2]日本児童文芸家協会・日本国立公園新社理事[3]岡山県高梁市出身[4]

経歴

生い立ち

1904年(明治37年)岡山県川上郡吹屋町(現:高梁市)の長尾家に生れる[4]。大正4年度吹屋小学校を卒業。地元の旧制岡山県立高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。長尾自身、好奇心旺盛な性格であり、5年生の夏には、神戸市貧民窟スラム)へ見物に行く。そこは、人一人やっと通れる位の路地があり、病める者、貧しき者、悩める者、弱き者、虐られた者等、世の中の敗者とされる人々がひしめき合い、これを見て世の中の不平等さを認識した。また、長尾は貧民窟と呼ばれている街の名前に哀愁と魅力を感じていた[5]

その後、1922年大正11年)同校を卒業し[5]、東京にある青山学院高等科人文科(現:青山学院大学)へ進学する[6]1925年(大正15年)青山学院を卒業し[7]、当時、帝大の大学院並みの教授陣を揃えており、有名だった学校法人アテネ・フランセ外国語専門課程で2年間学ぶ[8]。1927年(昭和2年)同校を卒業する[3]

登山家として

専門学校卒業後、一般企業に就職するが、その後、1931年(昭和6年)長野県霧ヶ峰に山小屋・高地農業研究所を兼ねたヒュッテを建設する[4]。しかし長尾は、不慣れな高地での農作業が原因で、腎臓を患って入院する。留守の間は、彫刻家の青年が、代わりに畑を耕していた[9]。その様な長尾であったが、彼は登山仲間からも一目置かれており、インテリ仙人とよばれていた[10][11]。霧ヶ峰の山小屋は全体では250人程度、収容可能となっており、スキー場開発も行われており、日本のリゾート地開発の走りを長尾が行っていた[11][12][13]

1935年(昭和10年)の夏には、霧ヶ峰で5泊6日の「山の会」が開かれる[14]。集まった会員の中には、講師として日本山岳会会長の木暮理太郎日本民族学の創始者である柳田国男植物学の権威の武田久吉中央気象台長藤原咲平ら名だたる人物が講義を行っておいる。これらを公聴しているメンバーも、有名な詩人である尾崎喜八日本野鳥の会の創立者の中西悟堂共同通信社専務理事の松方三郎、女性登山家の草分け的存在の村井米子、文芸評論家の小林秀雄、小説家の深田久弥等、有名人で殆どを占めた[14]。これらは、長尾のアイデアで開催されており、人脈の広さが伺える。

しかし、先進的な山小屋であったヒュッテ・霧ヶ峰は、 1936年(昭和11年)12月に火事で焼失する[14]。失意の中、山小屋の再建を試みるも断念し、再び東京へ戻り、斉藤電器の専務取締役となる[15]。また、長尾は文才もあり、地元の高梁では、第一回芥川賞作家で後にノーベル文学賞候補にもなる石川達三と並び賞されている[16]。この後、長尾は斉藤電器の社長となり[17]、経営を行いながら、執筆活動を続けた[8]

この他、長尾は日本児童文芸家協会理事、日本国立公園新社理事を務めるなど、次世代の教育にも力を入れていたが[3]、1994年(平成6年)8月21日、死去。享年90歳であった[8]

脚注

  1. ^ 『忘れえぬ山 3』筑摩書房 437頁, 1999年
  2. ^ 地上 5(8), 家の光協会, 1951年8月
  3. ^ a b c 理科の学校こども動物記 けものと鳥の巻 1年生, 高島春雄 等編, 実業之日本社, 昭和32年『長尾宏也 一九〇四年一月岡山県吹屋に生まる。一九二七年アテネ・フランセ卒業。現在、日本児童文芸家協会・日本国立公園新社理事』
  4. ^ a b c 醇正国語 : 教授参考書 1学年用 161頁, 能勢朝次 編, 文学社, 昭和14年
  5. ^ a b 〔岡山県高梁中学校有終会〕有終 第23号, 高梁中学校有終会, 1922年2月『第五學年 長尾宏也 それは八月の暑い一日だつた、私は神戸新川貧民窟にと足を運んだ』
  6. ^ 山と渓谷 (142), 山と渓谷社, 1951年3月『長尾宏也 日本山岳 Yuzawa會員、山村民俗の會員。明治三十七年岡山縣に生る。大正十一年上京、青山學院文科入學』
  7. ^ あしなか 18号, 山村民俗の会, 1950-06
  8. ^ a b c 岡山県出身の登山家、随筆家長尾宏也について。没年も知りたい。』, レファレンス協同データベース, 2018.8.23
  9. ^ 鳥を語る, 中西悟堂 著 星書房, 昭和22年
  10. ^ 山と渓谷 (23), 山と渓谷社, 1934-01
  11. ^ a b 南アルプス : 附・八ケ岳連峯, 渡辺公平 等著 三省堂, 昭和10
  12. ^ 青年読物 第2輯, 鳥取県立鳥取図書館, 昭和11年
  13. ^ 良書百選 第5輯, 日本図書館協会 編, 昭和11年
  14. ^ a b c 第5回「霧ヶ峰・山の會」のご案内 2頁, 霧ヶ峰沢渡ヒュッテ・ジャベル, 2009年
  15. ^ 電気機器年鑑 昭和13年版 81頁, 電気日報社, 昭和13年
  16. ^ 〔岡山県高梁中学校有終会〕有終 第37号, 高梁中学校有終会, 1936年1月『長尾宏也氏、石川達三氏(共に新進作家)、評論家池崎忠孝氏』
  17. ^ 日本工業要鑑 昭和16年版(第27版), 工業之日本社 編, 昭和16年



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