村井米子とは? わかりやすく解説

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村井米子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 08:08 UTC 版)

村井 米子(むらい よねこ、1901年11月23日 - 1986年12月19日)は、日本の大正 - 昭和時代の女性登山家随筆家村井弦斎村井多嘉子の長女で、『食道楽』、『釣道楽』などに解説を執筆している。神奈川県出身。東京女子大学[1]。婚姻中は黒田姓を名乗った。


  1. ^ 「食道楽」の家系 村井弦斎、多嘉子、米子の著作 - 神奈川県平塚市北図書館(2020年8月24日閲覧)
  2. ^ 割烹着の発案者としては、女子栄養大学の香川綾羽仁もと子などを挙げる人もあるが、一番古いものは村井弦斎が、明治39年1月号の月刊『食道楽』創刊号で、妻多嘉子の手助けで考えたと断って「音羽嬢式台所上衣」として発表されたもの。「此服は加藤病院の手術服の仕立方を同夫人より聞き、村井夫人が応用せられたる物也」とある。西洋のメイドエプロンや手術着から発想したものだという。音羽嬢は、『食道楽』のヒロイン、お登和さんのこと。この上衣は全身を包むようなタイプである。当時、明治14年に赤堀料理教場が開校していて、生徒が着物を汚さないように割烹着を着せて実習をしていたというので、時系列では赤堀峰吉の方が早かったということになるのではないだろうか。それぞれが考案した割烹着のデザインなども比較検討して見る余地があるかもしれない。米子は、父の後を受けて台所の工夫について多数の執筆があるので、このように言われてきたものであろう。


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