村井範子 (音楽史学者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 村井範子 (音楽史学者)の意味・解説 

村井範子 (音楽史学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 05:52 UTC 版)

村井範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 - 2020年12月17日[1] )は、日本音楽学者フェリス女学院大学名誉教授

来歴

広島文理科大学学長で教育学者長田新の長女。夫は教育学者、慶應義塾大学名誉教授の村井実。次男は情報工学者、慶應義塾大学名誉教授の村井純

広島県広島市生まれ。広島高等師範学校附属小学校、広島県立第一高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)を経て、津田塾専門学校英文科(現:津田塾大学)1945年9月卒業、1950年 東京藝術大学音楽学部楽理科入学、1954年同大学楽理科第2回卒その後専攻科修了。1956年東京藝術大学音楽学部副手就任、1956年東京藝術大学音楽学部講師(音楽史担当)、1958年~1960年米ハーヴァード大学音楽学部大学院にて音楽史研究(ロックフェラー財団奨学金による)、東海大学短期大学部教授、フェリス女学院大学音楽学部教授(音楽学部4年制創設)(音楽学特殊講義、教会音楽研究、器楽特殊講義、日本音楽文化) 1993年 同大学名誉教授。

国際音楽資料情報協会 International Association of Music Libraries, Archives & Documentation Centres (IAML)日本支部設立(1979)に際し事務局長、のち副支部長をつとめる。年次大会、総会における役員会に日本代表として12回参加。これに際してユネスコ国内委員会を通して、国庫補助を受ける。日本音楽文献目録作成委員会(RILM)日本国内委員会委員。横浜市民大学、横須賀市民大学の西洋音楽史講座において企画および講師。2004年までフェリス女学院大学オープンカレッジにて「日本の音楽・世界の音楽」講師。

学会: 日本音楽学会東洋音楽学会、民族芸術学会、アメリカ音楽学会American Musicology Society (AMS) 、国際音楽学会  

主な著書および訳書

 H.M.ミラー著(1977)村井範子、松前紀男、佐藤馨共訳『新音楽史』東海大学出版会

 プレンティスホール音楽史シリーズ全8巻を4名で訳出(1969~1986 東海大学出版会)

  Ⅰ A.スイー著『中世社会の音楽』    Ⅱ H.M.ブラウン著『ルネサンスの音楽』

  Ⅲ C.V.パリスカ著『バロックの音楽』   Ⅳ R.G.ポーリイ著『古典派の音楽』

  Ⅴ R.M.ロンイヤー著『ロマン派の音楽』  Ⅵ E.ソールズマン著『二十世紀の音楽』

  Ⅶ B.ネットル著『西洋民族の音楽』    Ⅷ W.P.マルム著『東洋民族の音楽』

平凡社『音楽事典』1956、音楽之友社『名曲解説全集』1959~1964など音楽学関係項目を執筆

参考

画家いわさきちひろの共同を得て実父長田新編著「原爆の子」の文を挿した絵本『わたしがちいさかったときに』(童心社)の作出など、広島被爆の立場から平和活動に尽力した。

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  村井範子 (音楽史学者)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村井範子 (音楽史学者)」の関連用語

村井範子 (音楽史学者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村井範子 (音楽史学者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村井範子 (音楽史学者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS